僕が通りを行く、午後

僕は何もしていない。本を読むことすら忘れていたのだ。何もかもきっと、忘れていたから。僕は子供の頃と同じように。今日は少し、アンネ・フランクの本を読んでみたけれど。音楽は、U2を。ライブは平日なので行けないのだ。昔のことを思い出させる、アンネの、展示。あの本が日本で刊行されたのが87年だと考えると、そう、昔の話ではない。アンネは思い出させる、確かオランダから遺品を集めて地元の公民館で展覧会が行われていたことを。そこには、行かなかった気がする僕。でも、母親はそれに夢中になっていたのだ。とても、そういう話が好きだから。女はきらびやかなものに憧れる一方で、えらく暗いものを知ろうとする。そう考えると、どこか奇妙な生き物だ。女性を見ていると詩的な生き物だと、時々、僕は思う。セックスという行為自体も、本当に、一遍の詩のようなものである。女は刹那な感情の営みに、一様に何らかの価値を見出そうとする。
かつて僕は、親とハワイにでかけたことがある。それは、中学の頃だ。ハワイはなじめなかったものだった。僕は街の郊外だとか、明るいものよりも暗いものに目を向けがちだったから。僕は赤裸々な街の姿が好きだった。僕がみていたのはいつも、安宿で食べる朝食だとか、そこのマドから見る、朝日だとか。観光地と呼ばれるところに目を向けてみると、そこは一様に混沌としたエリアだということがすぐに想起される。イスタンブールや、NYC、渋谷、タイ、ベルリンなどだ。様々な人や文化が、そこでは混じり合っている。決して、観光地と呼ばれる場所は茨木や埼玉、長野のように、静かで、落ち着いた場所ではないのである。