
街に誰もいない夜。二ヶ月後、どこに行くべきかを考えていた。雨の中を、車が通り過ぎていく音。彼女もなく暇な日々だった…。すれ違う人には、おまえ見損なったよ、というような失礼な顔をされつつ。ミャンマーはどうだろうと、時々考える。しかし料理が美味しのかどうかは、微妙だった。夜の酒のつまみには良さそうに思える色や全体の感じだった。遺跡の方は、それがこの国の全てであるかのように、重厚かつ、魅力的に見えた。なおかつ、治安も悪くはないのかもしれない。僕の目はいつのまにかこの勢いで東南アジアを制覇してやろうという意気込みだった。そんなことを考えていたら、何のために旅行に行くのかということすら忘れてしまっていた。
僕は昼頃、勇んで外に出た。すれ違う人は、どこか憂鬱そうだった。ふいに、渋谷で働いていたときのことを思い出した。店の中の、ディスプレイ装飾の仕事だった。僕はまだ若くてかわいい女の子と二人で、あの日迎えの車が来るのを待っていた。いつものように繁華街を様々な人が行き交っていた。あのときの同僚で、運良く結婚した人もいることだろう…。仕事が終わると、すぐに飲みに出かけていった小柄な女の子も、その一人だった。同僚はよく、朝まで酒を飲んでいたけれど、誰とどこかで何もすることもなく、家に帰ることが多かった気がする。皆ファッショナブルに着飾っていた。僕はリーバイスのジーパンを最後の最後まで履き通した…。今でも時々、ハチ公前の交差点を歩く時、あのときの光景を思い出す。僕はあれから何を得て、一体何を失ってきたのだろうかと。僕はミャンマーにでかけて、果たして、未来につながるような、心の中に得るような手応えのあるようなものはあるのだろうか…。
ベランダに降り続いていた雨。晴れているうちにスニーカーを探しておくべきだった。一人で、スパイラルのあたりをうろついていた。チェックしていたメキシコ人作家の展示を見た。金の絵の具を、正確な円のなかに描いたような印象深いアート作品。見たことのあるような作風だが、理性的で現代性も感じさせる、センシティブで鋭敏なタッチ。奥の方には屏風を使用した作品もあった。これだけのクオリティの高い作品が無料で見られるのも、この街ならではの粋だろう。前回は空間全体が彫刻作品として扱われ、インスタレーションとして展示されていたことを、はっきりと覚えている。
アジアの芸術は一体どうなるのかということが、頭をよぎる僕。僕はタイを歩いたが、そういった雰囲気を、まるで感じなかった。アート表現はないがしろにされているのである。日本もしかり。芸術活動に国を挙げて、取り組むべきだ。僕はそのように芸術に取り組むべきだとする考えを持っている政党が、街のどこかに存在することを知っている。しかしそれは、何も、社会的貢献を生みはしないだろう。フランスなどの情勢のアート活動による無残な実情。そのようにして、正しいことはないがしろにされてきた。しかし芸術を志すものはいつでも少数派だ。だから僕は、アートが自分自身の処方箋になることを、祈っている。