満員電車の中で接近するもの

月曜日の朝からの電車の遅延。色々なことを考えながら、一人で電車に乗っていた。近くに、細くて、透き通るような白い肌の女子高生。否が応でも、昨夜アダルトビデオで見た女の子の姿を彷彿とさせられる…。白い肌に白いシャツ、明るい色の、子供っぽいパターンのチェックのスカート。満員電車で、後ろから押され、彼女の方へと追しやられることの、恐怖にも似た感情。僕は思春期を過ぎた頃から、特に、若い女の子が苦手だった。彼女たちの反抗期特有の、どこか暴力的な感情に支配されることを、僕は避けて生きてきた。なぜ女子高生はリボンをしているのだろうと、僕は時々考える。卒業すれば、イベントでもない限り、リボンをつけるような輩はいない。中学生でも子どもでも、リボンをつけるような人は、あまり見かけないだろう。しかし、これは日本人のみに限ったことなのだ。

 

色々なことが、良く整理されないまま進行している。親や、仕事場での人間関係においても。そして、友達も。未だに、針の穴を通すようなプランの出し方がよくわからない状態だ。レイアウトにおいても、空きの作り方のセンスが疑われている…。手癖なのか、リッチなデザイン自体に慣れていない。そんな僕はスターバックス恐怖症。刺激的な音楽に、肌を露出した女の怪しい目つき。あまり落ち着いてコーヒーを飲める場所ではないということが想起される。赤坂を一歩歩けば、一見、普通のように見えるが、実に神がかったように複雑怪奇な場所なのだ…。デザインも、コピーも、実はプログラミングとよく似ているところがある。特に、宣言や書き出しの部分。そこから、PC言語を通してストーリーがまさに展開していくというわけだ…。非常に論理的なものを作っているのだということを、最近説教を通して教えられている。