若い女性美容師への執着

最近僕は、何もしていない。死ぬまでには、まだ時間があるのだと、時々つぶやいている。そして、テレビをつけたり、消したりしている。90年代を生きているような感覚がある。もしくは、80年代を。藤原ヒロシの名は、良く知らないというわけだが…。そういった特集でよく見かける当時は金がなくてそれが買えなかったという言葉。雑誌やCDが流通しなくなった今、明らかにクオリティの高いものは意識されなくなっている。この特集においても、明らかに人選ミスである。WEBデザインで、フォント自体やカラー、内容自体にこだわりのあるサイトが創作されるわけではない。ただソフトやメディア自体で表現するにも、メモリや紙面自体の容量があるため、編集されるという制約がある。ただ、ゲームも、webコンテンツも、小さな画面の中では伝えきれるものに限界があるのではないだろうかと思う…。

 

30代以上の男が、美容室で、若いお姉さんに髪を切ってもらうという、ある意味合理的な選択肢。こういった関係は、一見風俗のようでもあり、けっこう怪しいものだ…。20代の頃は、大体、相手が年上か同じぐらいなので、別に考えるべきことなど何もなかった。同じように、予約したときも、特にどうということもなかったが、確かに、本人を見たときには、パヒュームのような服だったので、肩に力が入るくらいにかなり力んだ。感想としては、歳がかなり若いと、こちらも若いように扱われるという感覚がある…。そういうわけで、実はあまり気を使わないという点を、実感した。なぜそんなことを、と思うかもしれないが、前は別のそこで働いているおばさん(母)に切ってもらっていたから、というのがある。私はそういった女性というのは、一体、どういった存在なのだろうということを確かめるため、白い肌と艷やかな髪をヨコメで、必死で観察していた…。

 

しかし、そんなことは私の日常の中では些細なことだということを、知っている。特に文学作品は世界的に読まれるものは少なくその国で出版されているだけの状態だということなので、考えさせられる。いや、それとも、考えなければいけないのだろうか。昨今の芸術はあまり進展自体の余地はない。ユダヤからも追い詰められた状況の中で多くの著名な作家の作品が発表されている。特に、大陸で出されるものは知られていないだけで、良いものがまだ数多くあるはずなのだ。アメリカのように企業ぐるみでそういった運動を推し進めないことには、かつてのような隆盛を極めることは難しい。ジプシー文学という物自体知らない日本人が増えている。絵画や彫刻作品においては作品自体がもうあまり生み出されてはいない。フランスには、画廊や展示場自体がもう、存在しないのである。