失われた感覚

僕は見たいものを見るために仕事をし続けるということは、一つの選択肢なのかもしれないと考えている。奥さんや友達はどうかわからないが、恋人や子供がいるということが普通ではなくなった今、街で、それは簡易的だがとるべき打開策の一つとなったのだ。もちろん、家族がいるということに越したことはない。だが、アダルトビデオの鑑賞においても、それは、自我を保ちつづけるための方法の一つなのだと言える。風俗は高いからアダルトビデオを見たほうが良い。以前、どこかに地下アイドルの見るために出かけているのだという先輩がいた。だが、多くの人にはそれは面倒であり、かつ恥ずかしい。そういうわけで、僕にとってもそれは、進んでとれない選択肢なのである。
様々なバリエーションのAV女優。そして、不倫ものだったり、制服だったりする服。着ている服は、本当に様々だ。かつてから、系統は確かに存在する。部屋でこのようなことが得意なのだな、と思う。そうすると、顔立ちがよく似ていたりする。見ている方も、僕もそのように思っている。どこかに新しい感じの人はいないかと思うというのは、軽音楽と、しかし、よく似ている状態かもしれない。僕は今日もそんなことを考えていた…。しかし、生きることはなぜそのようなことを明確にしてしまうのだろう。歳を取るとバンドをやるのが面倒になってくるというのがある。すでに若い子にも見向きもされなくなり、ついていけなくなり、落ち着いたオバサンばかりに目が行くようになる。理解できないことも多い。すでに、破壊的で革新的なサウンドや歌詞も共感を持つことができない。キンキンした音に馴染めなくなってくるのだ。