上野から歩いた
上野から秋葉原に道を歩いた。途中、いくつかのオーディオショップに寄って。ある意味では自分を探していたのかもしれない。冷たい風の吹くアメ横のテーブルで酒を飲む人たち、僕にもああしたことがあった気がする。それ以上にイチゴやらサカナやらがこれだけ高いのに売れるのかと観光地価格の魔法に目を見張らされた。そう思うのもつかの間、目をつけていた一軒目の中古オーディオショップに着いた。話を聞くと、もっともらしいような話をされ、妙に納得した。年代物の機械では新しいものと合わせても何もそこからはまっとうな音が出ないというのだ。それにしても、株価は下落を続け資産は目減りさせられた。トランプ政権の動向次第でその上下を決定づけられる恐怖。彼自身でも読めないようなまるで感情だけで指針を判断する社長の指揮のよう。
駅の構内ではミスドが軒を開いていた。今やどこででもそれを見ない場所はなくなりつつあるようにも思える。子供の頃とは味が変わってしまったように思えるのはなぜだろう。歯ごたえも歯に伝わるチョコの厚みもあの時とは欠けるものになってしまった。それはときめきがなくなったからなのかもしれない。昨日は、せんべいで少しだけ胃痛を覚えさせられた。どういうことだろう。でも、そうではないとしたら僕はいつの頃の自分に騙されているのだろうか。わからないけれどマランツがまな板の上のサカナだとしたら、デノンはコンクリの上で捌くサカナのような感覚がする。だからデノンは魅力的だと思うのだけれど、いかんせん安定に欠けた。だから非常に惜しい、このアンプを売るのは。