ほうれん草のパン

この思いはどこに向かうのだろう。街は、もう、風もぬるんでいる。4月の、自分であることすらもなくした受験生みたいに、溶けた雪だるまみたいに自分が思える。さしづめ、食べ終わったそばのつゆかもしれない。そう思う時、車が、また遠くからやってきた。判断をこの目に求めるかのようにして。浮かんだビニール、焼き立てのパン。よく晴れた日、濡れたものは何もない、何も。

浪人した友人は今では、大手企業に就職して結婚した。僕はといえば、何もそんなことはなく、好意を抱いていたパン屋の女に軽くあしらわれるだけの日々だった。買ったオーディオはファイルで再生させるとひどい音がした。機材によって生み出された音の部屋。まるで気づくと終わっていた、オリンピックみたいに寂しい。だが、マラソンとスケボーの金メダルの重さは同じだ。そんな、競技会に品格はあるのかというと妙にも思える。例えばノーベル賞を受賞したボブデュランに似た滑稽さ。春の休日のそれはショッピングモールに溢れた人々。僕の商品をクリックをし続ける悪くて不器用な手。それは詰まった排水管だった。幼い頃はプールには行きたくはなかった。でも僕は何をしたかったというのだろう。僕の、感覚に似た、幻の木に、ベトナムの街を思い出す。あの美味しかったデザート屋。最後にコーヒーを飲んで締めた。いないのだけれど、もう、そこには。