teacと過去
teacと過去

teacのネットワークプレーヤーにteacのアンプを合わせたら、出口はどうするか。店の中ではヤマハだったりしたことを、遠い海を見ながら一人考えていた。通りの駐車場には、今日も日が当たる、夏の間は暑かった道。そして、カモメが数羽いるのを見かけた。目を閉じると浮かぶ、でも、夏の猛暑の、記憶も薄れた。確かに、ここを歩いているということだけの風景が流れた。暑過ぎたからなのかもしれない。機器の取り外された時間貸し駐車場、今はスマホで、全てを手続きできるという。ここから僕のいなくなる日はいつだろうと、時々考える。スマホばかりを見ていたら人生もったいないと思うのは、確かな真実だ。所詮はすべてパソコンの中での出来事なのである。それは事実ではないし、虚構はあらゆる、体感できるものをすべて曖昧にする。陽の光が、たとえそこに、でも、あったとしても。影だけが無意味なものとして存在する表現者に見えるものだ。通りの向こうにはサイゼリアが見えた。人は今日も集まるのだろう。車も、そこに停まる。何かを選ぶことの無意味さを見ている人に与えるようにして。それを思うことに疲れた。無数のチラシの挟み込まれた地域紙の入ったポスト。

昔のことは考えないようにしていた。新しいものに興味があるわけでもないのに。経験した出来事について考えないようにしている。季節を彩った光だけがいつもそこにはあった。あの頃出かけた友人の家の匂いみたいに。自由だったと、今はそこにどんな場所があるのだろう。いつかまた、今日が、その日になることを僕は思うけれど。波はただうちよせることをそこでやめないのだ…