家電と時代

レッツノートをリカバリしたら、とても時間がかかり苦しめさせられた。キーボードのシール貼り付けといい、アプリといい、日本製であることが少し恥ずかしい。中国や台湾製のパソコンのほうがよく出来ているのである。僕は自分の人生を振り返ることがある。昔から日本製であることの品質の良さを刷り込まれてきたことの弊害を。そうなのだ。時代がシステムデバイスよりになることで、機械であることの価値はあらかた失われたといっても過言ではない。パソコンも携帯もそうなったし、あとは車だろう。色々な機器も姿を変えている。テレビもそうだし、ひげ剃りも、電球もそうだった。日本で作る必要がないものから、日本で作ることができないものになりつつある。神からは、人間であることの意義を問われている。その真理を知る目を持っているのかということだ。始まりはほんの兆しに過ぎなかった。そして、今がある。夜道は、工場から出てきた外国人と今日もすれ違った。電車に乗って、どこに帰るのだろう。電車賃をケチって、自転車で帰る若者もいる。昔の僕の姿と重なった。そして、今夜も眠るのだろう。最近の電気屋みたいに腐敗したムードを。その、音楽の音を。