共感を捨て去った時代
今日は久しぶりに大塚駅で、僕は降りた。何度かここで面接をしたことがあった気がする。当時も同じ、妙な場所にスタバがあって、アトレはなかった。駅前は非常に暑く、風すらもぬるいように感じさせられた。だからドアを開けてアトレで涼んだ。商品を見ているふりをしていたのだ。女子高生が制服を着ていたのはなぜだろう。
昔、ルーズソックスが流行る前は、彼女らはもっと目立たない存在だったのかもしれない。そう、まだ流行と呼べるものの意識が薄かった頃、今度AIに聞いてみよう。大きな流行の流れが始まったのは90年代なのだろう。レコードやcd、服の流通が激しくなった頃。目を閉じれば、コロナ前とは世の中は随分変わった気もする。この間、それについてAIに聞いたら、共感の時代はすでに終わったのだという。尊重や、驚きといったものが、あたかも革命がおきたかのように、人々の関心を集めるようになったと。確かに言われてみればそうだった。歌は友情や恋愛をテーマにはしなくなり、ラジオの番組も、リスナーのお便りをあまり読まなくなった。代わりに挿入歌や宣伝ばかりになったけれど。それ単体では意味を持たないものばかり。大統領も独善的な政策ばかりをとるようになった。目立つから、支持を集められるから。でも、僕はそんなふうに、人々の感情の傾向が良くない方向に向かっている気がしてならない。