夢のカーテン

何も将来のことは考えてはいなかった。ただ、景色だけがあった。見ていることでコーヒーも時々、飲んでいる。苦味の中にあるものについてを考える、自分が何を求めているのかだとかについてを。今は住んでいるわけではない、住んでいたことのある街についてを。相模大野で暮らしていた日々。三角地で、若い夫婦がやっていた八百屋は今はもうない。グーグルマップで見て知っただけで、わかったことであるわけではないのだが。WEBの情報はあてにならないと昔は良く言われていた。でも、雑誌や本に出ている情報はWEBの情報をソースにしていることは多い。そうすることでわかることは自分が体験することが全てだということである。そうではないという人もいるのかもしれないが。

僕は時々近くの街に出かける。今はいない友人とそこで待ち合わせしたこともあったものだった。例えば、学芸大前だとか。ラジオで魅力的に紹介されていたので行ったが、何があるわけでもなかった…。今は彼は街歩きは昔よりも得意になっただろうか。でも、だれとどこに行くにしても、面白いと思うことは特に無く、気分転換であるということが真実だった。タイでシュノーケリングをしたことが、そうではなく、でも、僕は印象に残っていた。やはり異国の海に潜ったりするアクティビティは、夢でも見ているような感覚だった。