正月二日目、僕は、ヒルズで

一年ぶりにsと会い、僕らは歩いていた。今年の現代美術館の無料開放は、コロナウイルスの影響で実施されていなかったので、ヒルズのチケットを事前に彼に入手してもらっていたからである。ただ関心としては、そこまで強く、僕の中にはあったわけでもなく。とはいえ、主に日本のサブカルチャーを題材とした美術作品が、海外の理知を感じさせるような美術作品に対してどれだけ張り合えるような完成度を持つのかというところに、僕は注目していた。そして、それは、後者が持つような圧倒的な感性の力は備えていなかったにしても、ほぼ一貫して、多くの人に共感を持ってもらえるような楽しさや親しみやすさを持っているのだという実感として、理解させられたのだった。しかし、その中でも村上隆の作品はアニメのキャラクターで見られるような新しい感覚を主要なモチーフにして表現しているがゆえに、他の芸術家と比べて、時間が経過した今では直感的にそれ自体を古く感じさせられてしまうというところが惜しい点ではあった。彼と同じように、アメリカ人でサブカルを題材にした作品を残したリキテンスタインとは似ているようでいて、今となっては対照的な感覚がそこに立ち現れているのだということを気づかされる。サブカルチャーを同じように題材としていても、なぜかそれが、伝統的なアメリカの文化としてリキテンスタインの作品の場合は感じられるからだ。そしてその理由は、単にスタンダードなアメコミを題材として絵を、リキテンスタインが描いたからということであるようには僕には思えなかった。