無意味なことと、意味があること

ふいにメールが届いて、定期預金が満期なのだと書かれているのに気がついた。3年ということもあり結構な金が入ると目算させられ、そして、部屋の片隅でウヒヒとほくそ笑んでいた。僕は結局得るべきものは金なのかもしれないと思った。奥さんのいない孤独で不幸な独身男性であったとしてもだ。電車に乗りながらそんなことを考えていた。ただ人間という生き物として生きるには何をするにも才能が必要だと思う。特に、まあ、二十代や三十代はそうだと思う。しかしカネというのは知恵や努力と意識次第でどうにでもなるファクターなのである。芸能人であったり、医者であったり、女にモテたり、頭が良かったり、明るかったり、キレイだったりする、人間たちを思いうかべる。しかしカネは生まれ持った才能であったり、単なる、運に左右されるものでは決してないのである。

 

そんなとりとめもないことを考えながらマッサージを受けていた。よく知らない麻布十番のネットで探した激安物件である。一時間、なんと3980円。彼はわりと無愛想な対応だったのだが…。実績もあり、腕は確かなお爺さんなのである。隣の部屋にはテレビや布団もあり、彼はそこに住んでいるようで、賢い経営者だと言えた。僕はようはクビに鍼をぶちこんでくれれば、それでよかった。喫茶店も同じだったりするが、場所を借りていたりすると家賃代で潰れるという構図なのである。

 

無数の外人とすれ違う。外人を見ないことは、僕はない。赤坂はおろか、目黒でも出会う外人さんたち。その、子供を抱えたスーツの男を見ると、やけにエラそうだった。単なるステータスのために子育てをしている人も少なくはない。目的は人それぞれ。目的が、自分はというと…、カネ以前に見いだせない。部屋に戻ると、PCからCDレコにつないだ音源が割と高音質で録音されていた。TOC情報はでも、無い。書く方法を調べていると、オナニーに費やすべき時間だったと、あとで思い知った。