隣町まで歩いて、パンを買いに行く。安くて美味いパンがあったからだ。ただ、少しだけ菓子っぽい味だったけれど。途中、犬を散歩する若い女を見かけた。いつも思うが、そういう子の雰囲気は何となく似ている。何が、というわけではないけれど、近寄りがたい犬との絆を感じさせられる。ペットというのは言語を介さない意味ではとても感覚的でわかりやすい存在である。道を進むと、それから、パン屋が見えてきた。手前にATMがあったので、通帳をマメに記入する。なぜそんなことをしているのかというと、節約していた頃のクセだった。僕は毎日250円の弁当を我慢して食っていたのだ。そういうふうにして金を貯めるのは大変だったが、今でも当時の、暗い顔をしてそこを歩いた、埼玉の風景が目に浮かぶものである。あの、スーパーは、今でも同じように、あの鮭弁当や中華丼を売っているのかもしれない。その割には、駅前にはホストクラブが並んでいたりするという、ギャップが凄い。朝、時々店の前でドラマチックで衝撃的な光景が不意に見られた。そんなことを考えていたら、パン屋の中で僕は400円のサービスパンを買い、出てきた。ケーキも見切り品があったが、ケーキは劣化が早いので厳しいと知る、大谷やwバフェット的選球眼をそこに持っていた。
この間はケーキが翌日は本当に腐っていた。安いからってなんでも買えばよいわけではないのだ。それで、また、道を引き返すと、オーディオの音源をこれからどうするかということを考えた。レコードが昔は主体だったが、CDに移り、今は、データとなった。本来はレコードが良い音だったはずだったが、今はもう、でかいので買われてはいない。何かに必死でこだわるよりは妥協したほうが小気味よい生き方ということである。音質よりも利便性を取った結果がこれなのだ。今ではどんな国でも、フィリピンでも、CDを買おうとする人間自体存在しないだろう。そういうわけで、寂しい気もするがどんどんデータに移行していこうと思っている。