機械との明け暮れ

会社のmacを、外付けssdで動かしたら早かった。やや、不安が残る点もあるけれど。ファイルが見えなくなったりと。最近はベルトから始まりメルカリでマウスやらノートpcをやたらと買いまくっている。買うだけでなくいらないものを売ったりと。手から離れては、近づいてくるものたちを見ていた。目によって、この、部屋で。しかし中古とはいえ最近の機器は軽くて高性能になったものだった。見てくれは似ていても明らかに性能は更新されている。レッツノートが明らかに変革をなしえたという風には実感としては、でも、そこまでは思わなかったが。ただ性能は高いだけあって本物である。やはり選ばれたものに限られる。歩み寄り、手にとってみないことには事実は壁の向こう側。遠くから見ているだけでは、文字を眺めているだけの本の世界に似ている。

dacの調子の方は、なかなかで、使いこなすのが難しい。単に孤立したファイルを共有フォルダから開かれたファイルとして再生させるだけではおかしな音が出てくるという。wavやハイレゾのような巨大なファイルを見えないイントラネットでストリーミングさせるそのやりかたとは。今はAIを叩いて教わった、PLEXというアプリを使っている。ややノイズが乗るが、音は安定している。スポティファイがどのようなテクノロジーでそれを転送させているのかを、追いかけ、そうすることによって明らかにさせられた。そこで出てくるのが、今後CDを借りたときにCDレコーダーで焼くべきなのかということ。秋葉原のオーディオ店ではほぼCDは使っていなかった。ラックからプレーヤーを下ろした店員は、そうしながらCDのほうが音はよいです、とは言ってはいたが。

つまりこうして何かを思う背中は、欧州の道をバスで行くとき。このさきのことを、だんだん暮れゆく景色に見ているみたいだった。