記憶について
友達のことはもう、覚えていない部屋。空だけがあるのだ。無であることの自由を、僕はそして、歩いた。暑かった夏の余韻のように残る、昼の暑さ、しかし冬はすぐにやってくるのだろう。何週間もたたないうちにだ。今、草が揺れた気がする。一本の。車が音を立てて走り去った。中から出れば、もう、今とは別の世界にいる。誰かにとっての。そこに存在することの虚しさとしてではなく思えた。昔のことばかりの日々だ。今日のことはもちろんある。外国人ばかりと出会う道を歩いた。時には一人だ。聞こえてくる言葉はどこの国だろう。多くは何人かである。日本語を聞くことが無くなったものだ。スーパーにも、彼ら相手の食材が並ぶ日も近い、きっと。今はそうではないものがある。
今は自分のことばかりだった。そこで、また。自分の中にある宇宙を泳ぎたい、人の持つ宇宙ではなく、そう、思った。部屋から出れば、鈴虫の音が聞こえるのだ。電車が走り回る、でもどこにいくわけでもなくそこからどこに行くのだろう、でも、わからなかった。わからないということの確かさだ。ナッツのような。昨日は、雨が降っていた気がする。よく覚えていなかった。今は晴れているのだ。たぶん。旅行中の天気をよく覚えているのはなぜなのか。外界に心をひらいているからだ。それは営業マンの心理と似ている。営業をしていた頃のある日の天気をよく覚えているからだ。夜だったり、朝だったり、今でもよく覚えているのである。ボタンとか。そのようなことは、釣りをしているときに似て、景色の実感を伴うからなのかもしれない。名前すら知らない、振り向いた誰かであったり、船の作る飛沫。知らない鳥や、小魚たち。