何も思わずにいると、生きていることは明日の風に似て、わからなかった。でも、帆を立てて走る船の様子を思い浮かべている。いくつかの島を巡って、長いツアーだった。思い出す、今でもずっと続いていた水平線を。いくつかの島に立ち寄って、人や荷を下ろしてから船は出た。水平線が、続いていた。時々、沖の方を照らしている光を見ていた。昔のことなどを、考えていた。五反田で暮らしていた頃の休日に出かけたカレーバイキング、食べすぎて腹を下しそうになった僕はまだ二十代だった。あの頃、今の僕の姿を悪ければこんなふうになるというふうに、何となく想像はできていた。地震は起きたけれど、どうということもなく世の中の時間は流れた。次郎ラーメンにも時々行っていた。今ほどはメジャーな存在ではなかった。いつのまにか時は流れ、でも、最後に行ったのはいつだっただろう。車のドアを開けて出てきたのは、新人のサラリーマンだった頃の僕、でも、東京に慣れておらず、後方確認を忘れていた。あやうく自転車にぶつかるところだった。先輩は親切だったが、皆先行きへの不安を抱えていた。辞めるだろうということは、隣りに座った誰もにしていたように、僕にもしていた。では、なぜ彼らがその仕事をしているのかは、わからなかった。翌日は違う営業と同行していた。近所にある文房具店で、ノートを買った。同行日誌と称するものを書くように言われたからだった。向かいの通りの方には和食の店があり、慣れるとそこに昼ごはんを食べに行くことを楽しみにしていた。魚料理がとにかく美味しかった。車のドアを開けると、夏の日のプールの横で、騒ぐ子どもたちの声を聞きながら、取引先のエレベーターを上ったあの日。何年か前には、僕も同じように授業でプールに入っていた日があったことを思い出しながら、今は、グレーのスーツを着て歩いていた。悪評の高い上司の背中、確かに元エンジニアのどこか変わった人だった。三年後にはその支店の駐車場に営業車を停めて、僕は御茶ノ水駅のスターバックスで友人と会っていた。彼も仕事を辞めていたが、僕もそうする流れだった。下北沢で彼と会ったのもその頃だった。
営業車で出かけた朝