明日の橋
昔アメリカで、僕は何であるのかということをいつも思っていたのだ。レンガの輝く朝の街を歩いていることで。でも、街はいつの間にか次の日の朝になっていた。履いていたスニーカーも色あせて、服も時代暮れの代物になっていたのである。夢見ていたことは、昨日のものになっていた。あの狭い路地には、いつも、仲間がまわりにはいたものだった。仲間は、気がつくと、一人減り、二人減り、壁の前に僕はひとりぼっちなっていたのだ。僕は明かりを消していつも、思っている、希望や夢といったものを、見えない誰かに口にすることで、生きていこうとしていることで。
僕は時々店の中に入る。冬の夜は、暖を取るだけで、心地よい気がするものだ。並べられた商品を、買う気もないのに眺めて、また外に出る。すると冷たい風が、また心の中にやってくる。でも、店の中に戻りたいと思うけれど、家に戻るには歩いていかなければならないということを感じさせられる。駅の構内は明かりが灯されていて眩しい。案内所の近くに、色々な観光地の写真が載っているパンフレットを見かけた。僕もあんな場所に出かけたいと思った。そのための金はポケットにはなく、働いて金を稼がなければならないと思うのだが。
僕は社長になった気分になることがある。自由気ままに旅に出ることを思い浮かべる。家に帰るときにそう思うたびに、自分がアルバイトだということを、実感する。何もそうすることに関わりを持てないことを、走る電車の中で考えさせられるのである。角を曲がると、いつもそこにいるのは社長になった自分であり、同じ考えを持つ人を従えていることを、次の曲がり角が来るまでは、想像し、実感してはいたのにである。