グーグルマップで見た街
ノエル・ギャラガーは心の中で1975をどう思っているのかということを考えながら、街に出た。あまり面白そうなことは無いようだったけれど、少しだけ寒い。交差点で、少しだけ僕は車が過ぎるのを待って、その、ブレーキライトが意味することについてを考えていた。それからまた歩き出していた。僕の思う方へと、その向こうには、スーパーがあって、いつものように、それは光っていた。光は何を思っているのだろう、色々な時代を照らしては、人と同じようにたたずんでいることで、その何を照らしてきたのだろう。車は走り続けている、人は立ち止まる事を忘れて、暗がりの中に検討をつけて見ている、未来であろうものを、店は明かりを灯している、どこかに行こうと思う、そこに僕はいた。何であるのかを考えながら、でも、今日も生きている、その思っていることを、確かめている時間の中で、僕はスーパーの商品を見つめながら何かを知るのだと思う。
ソールの黄ばんだスニーカーの滑りは収まらなかった。僕のスケートかスノーボードをしているように思える、感覚としての奇妙さ、そこで生きているということの意味、でも忘れていく、事物がどのようなものであったとしてもだ。人の人生の多くは、持とうとしたところであまり意味を持たないのだ。自分がどのような人間なのかを知ったところで、価値自体は失わさせられている。昔東京で働いていた会社の周りにあった飲食店の変貌ぶりに似てそれは悲しい。どのようなものであっても、価値をすべては持たないのだ。