バンコクの記憶

僕はバンコクのホテルで見た窓を思い出している。そこを流れていた車を。僕は一人でそのホテルに泊まっていた。便利な場所だったので、タダみたいな料金で泊まっていたのだ。欧米人も多かったホテル。僕は屋台で食事をとってきたが、ほかに入る店はなかった。自分が何であるのかを探していたような気がする。歩いていた犬を避けて、暗がりの中を歩きながら、灯りのある方を目指していた。やめたことのある会社にいた誰かのことを時々思い出していた。でも、見えるものを感じさせられていた。どこに行くのだとおもっていたが、光っていた街灯を頼りにわからないまま進んだ。層が、喫茶のようなスペースにいた。

いつも行っている河原は10年前にも来ていた場所だった。その時は、ガラケーを持っていて、スマホではなかった。僕は、そして、高校の頃の短期間で付き合いの終わった友人との帰り道の景色にも似て、でも、虚しい。そんなことを思い出すことは10年前の名前だけ知っているフェイスブックの誰かの投稿に似て無意味だ。そのような…電話をするためだけのシンプルな「機械」を欲しがるような気持ちは、営業マンだった経験のある僕にはなんとなくわかった。すでに僕の持っていた赤いガラケーはヤフオクで売り払ったのだが、それは意外なお金になった。それも、だいぶ前の話だったが、川の景色は当時と変わらず、そこにはあった。誰かが、営業は変わっていくけれど、エンジニアは変わらないと言っていたように、景色も、同じようにして同じ場所にあった。そしてきっと、今の僕の状況を当時の僕もきっと予想してはいなかったのだと思う。僕は立ち上がって、それからどこに行ったのだろう、面識のあった予備校の先生が、近所の大学のサークル活動のようなものを手伝っていた。

僕はそれから3年ほどで、近所にあった北向きの部屋を引き払って、東京の狭いアパートに出ていったわけだった。僕は新宿のタワーレコードに行っていたこともあったものである。交通量は東京の中ではない街ではあったが、都内よりも多い印象がある、行き交う車が多いからだろう。僕は、週末のフリーイベントに顔を出すようになっていった。そこにドラムが来ていると、ラッキーに思えたものだった。