夏の終わりの日記
いつのことなのかと思うまもなく、消えて行くだけの景色だった。記憶の中に残っていたり、残っていなかったりもしていた。友達や、親戚や、会社の同僚であったり、電車の隣に座っていた人であったりもする記憶に、人生というのはまるでシャボン玉みたいだと、僕は時々思ったりもする。人生というのは、それとも、消しゴムの捨てかすなのだろうか。時々、今は夜の散歩に不意に出たりしている。すれ違う人の顔も見えない、暗い道の多い街だった。向こうからはこちらが見えているのかもしれない道をいつも歩いていたが、向こうから見えている僕は、でも、見えない姿の僕でもあった。遠い向こうに埼玉の星のような光を放っていた団地の姿が見えた。時々イケアがあるので、コーヒーを飲みに行っていた。僕の特に記す必要のない思いと、そして、無印良品の、でも何か。少しだけアメリカのリアルタイム映像を見ると、マスクは誰もしてはいなかった。変異株が出るにしても、慣れを覚えた世の中は変わっていくのだろうかと思う、僕は、少しだけ、でも、疲れていた。