散歩に少しでかけたら、寒かった

たまにはこのキーボードをと思い、メカニカルキーボードを使っているが、ホコリをかぶってしまっていた。すでにいったい、どのくらいの時間がたっていたのだろうか。学校を出ると、年を振り返る機会もないので、生きてばかりいると時間だけが間延びしたように流れていることに気付かさせられる、僕は自由ばかりが欲しかった。そうではなく、例えば、振り返る機会が必要なのだと思う、ダンスレボリューションというゲームの出始めに尻込みして、女の子の前でできなかった時のことなどを。場所は秋葉原だった‥。僕はソフトを買いに従兄弟とそこまで来ていた。そして、十字の踏み台があって、女の姿のそこで動き回る様子を見て、松屋でランチを食べて、僕は家に帰った。

昨夜は紅白を見ていた。働き続けていくことへの奇妙な不安の中で、子供の頃のような楽しさはあまり感じられなかった。それに、テレビ自体を見ていなかった時期も、かなり長い。テレビを見るという事自体に虚しさを感じさせられていた頃、そして、そんなふうにテレビを見なくなって15年ぐらいたっていたのだと思う。確かに、新聞は無くなったが、テレビは残されていた。ラジオも、残るのだと思う。明らかに音声に乗るノイズの要素がビジュアルの要素よりも大きいと僕は感じているし、低周波音のように思えるそれはクリアではなく、それは意外な感覚であり、そしてPCでオーディオを聴くということ自体が今後も続けられることはアメリカ以外では少ない気がした。大音量では不快感を引き起こすノイズは気にならないからだ。恐らく、CDが、日本で売れ続けている理由は上記による。

スタンドが近いので光熱費節約のため灯油を汲みに行ったりしているのだ。それは、湿度が下がらないという利点がエアコンと違って、あるからだ。スタンドには僕と似たようなおばさんやおじさんが汲みに来ていた。後ろ姿の彼らの先を歩いているシルエットがキャリーにポリタンクを固定して歩いているとあったのだ。サイゼリア、ペットショップに、取り扱い商品を変えたPCパーツショップだ。国道を行く車は、そして、フェリーで大洗から運ばれてくる物資を運んでいるようだった。そのような貨物は、品川などに比べても意外に多い。調べると、港自体に陸付しやすいように思われ、北海道に向かうフェリーの本数なども多いように思われた。大航海時代にも海上輸送の要所というのは多くあって、どの国にとってもそこを押さえるのは重要な戦略でもあった。