夏の思い出もなく、過ぎていった年。九十九里までバスに乗って行った記憶もあるけれども、たいしたことはなかった。流れていく景色の中で、まばらに降りていく人たちの多くは、その地で暮らしていた人たちだったのだろうか。外を見ていた僕の視線は何を捉えていたのだろう、それは、稲刈りを控えた、良く房のついた田んぼと、立ち寄った喫茶店で食べた料理だったりもしたけれど。そして料理は、エビフライと、トマトと、そこに大きなレモンののった定食だった。その味を、今は、何も思い出すことはできないけれど。僕はそれを食べて、前述したバスに乗っていた。例年と変わらないくらい、暑すぎる夏だった。翌日の天気予報を毎日のようにチェックしていた。冷房代は気がつくと跳ね上がっていた。しかし、都市ガスだったので、そうであることが意識されることはなかった。部屋も狭かったので、すぐに冷やされた部屋。最後の友人が出ていってから、もう、どのくらいの年月がたっていたのかは、覚えていない。あれからずっと、僕は同じ部屋で生きてきた。騒音と狭さでひどい目に合わされていた日々。僕はその部屋に別れを告げた。秋のある日に部屋を出た。
僕は昔は、休日になるとタワレコにでかけたりしていた。その日までに、チェックしていた出し物を、新宿や渋谷に見に出かけていた。特に彼らのファンというわけではなかった、僕は、それを見ること自体が楽しかったのかもしれない。新宿や渋谷は、サブカルチャーを楽しみたい人には十分な魅力のある街だろう。池袋もアニメイトが充実しているから、そうかもしれない。そしてもう、僕はそれらを見るという行為自体に疲れさせられていた。そしてバスはもう、予定していたバス停に着いていて、ホテルのエントランスから浜辺を歩いた。いくつかの、カニが掘ったであろう穴の上を歩きながら、夕暮れ時は、子供の頃に見たことのある景色とそれを重ねていた。見ていたことのあったであろう、沖の方でぼやけていた水平線を。