アナログでの制作について考える

僕は時々デザイン中に製作途中のものを出力するよう言われることがある。出力は最後で良いではと思うし、前の会社では入稿まで出力すらしなかったものも多いのだが。でも、確かに、そうすると見えないものが、実感として感じられてくるわけである。それは不思議なことだった。確かに、紙のデザインというのは、最終的にはアナログで完成するわけである。それを、ただ、レタリングしてまでアナログでやるというのは、このスピード化の時代ではどうかとは思うが。

それは、こういった文章をスマホで書くとできが悪かったりすることとよく似ている。読んでいるようで読んではいない文章。MP3にしてもそう。それはデジタル記号の集合であって、純粋なものとしての音楽では決してない。やはりPCぐらいに文字が大きかったり、印字されたものを読まないことには、記憶自体には残っていても、頭の中の印象としては、あまり残らないものなのである。そういう意味では、薄べったい感覚の中で時間を消費している、現代人は可愛そうな存在なのかもしれない。こんなことを孤独なおっさんが言うのも、あまり説得力がないのかもしれないが。