

ぼんやりとしていたような、でも、確かにぼんやりとしていた日々だった僕だった。昼頃、僕はチャリで、いつものルートで中目黒まで出かける。自粛だというのに、あちらこちらから顔を出す人出は、いつものようにかなり多かった。イタリア人のように誰もが皆感染してしまう日もすでにそう遠い日の話ではないのかもしれない。しかし未だに、トイレットペーパーがドラッグストアの棚には、一個も並んではいない。二度目だが、100円ショップで買った自転車のライトは、調子が良さそうだった。光ること自体よりも、そこに固定されるのかどうかということが、僕にとっても、多くの人にとっても非常に重要な話ではある。あまり、高めのものをつけていると、そして、それを盗っていく人間がいる…。目黒でも僕は被害にあった。そして自転車は、いつものルートで、サギがいる場所へ向かう。いつものことながら、水の音がしていて、マイナスイオンで非常に心が洗われる場所である。コーヒーでも飲みたかったが、毎日毎日、バカのように飲みすぎていた。もう若くはないので、食べ物関連は、気を使わなければならない。健康診断で判定された胃の炎症が気になっている。アレルギーが、そして、コンプレックスだった。
時間があるので代官山まで足を運んだ。いつもは買うものもないのに、人でごった返している狭い通り。僕はそこを歩いていると、なんとなく、落ち着きを感じた。普段は見られない看板や店構え。こういったときこそそういったものをじっくりと見ておいたほうが得かもしれないと思った。特にそこで、買うものなどないのだから。そんな事を考えながら、坂を降りた。ファッションにこだわる人間は多分女性で、年齢はいくつぐらいまでなのだろうと考えると、それは非常に狭い購買層の商売ではある。価格もむしろ抑えられたものでなければ、それは矛盾しているように感じられる。街自体は、スタイリッシュであったりして魅力的だとは思うが。スニーカーやTシャツにこだわっていた時期もたしかに僕にはあったが、そのころはスーツであったりしたし、すでに、今はあまり面白くはない。そう考えると、非常に微妙な商売だ。
僕は自転車を、また、走らせる。いつものラスクが美味しい店でそれを買おうと思っていたが、閉まっていた。いつかまた来ようと固く心に決めて、僕は目黒通りを後にしたのだった。