街の人と僕は

朝、ゴミ出しに行こうとすると、回収車が去った後だった。マンションの管理人も、コロナで出てこないという張り紙が入り口に張ってある。僕はため息をついて、食事を作った。しかし天気は良い気がした。zoomのミーティングもなく、今朝はプレゼンに代表と上司が向かっていたのである。僕はというと、リデザインばかりで。誰もがするように企画書の文面を書くのも、厳しかった。以前は編プロにいたというのに、デザインコンセプトなどの話となると、文字でスペースを埋めるような作業ではなく、根本的なところから違うようである…。こういった状況の中でこのような仕事があるのは幸せなことかもしれないが、後日ビッグなデータのやりとりの仕事を僕は抱えていたのである…。作業は、自社サーバーではない。よく知られたギガファイルでのやりとりだった。

そんなことを考えながら、午前中はほぼすることもなくぼんやりしていると、やることを忘れていたことに気づいたのである。しかし、方向性が見えないと、そうする意味がないかもという躊躇が頭に浮かんでしまう。ヘリが空には飛んでいた。昼になり、僕の体は、特に連絡もないので外に出かけていく。肉と牛乳が無くなっていた。通りは、すれ違う人で溢れている。しかし感染者は、目黒には少なくはないと知っていた気がした。品川などは、それ以上。しかしこのような人混みを見ていると、気をつけようにも、誰にも、できることは限られているようにも思えていた。スペイン風邪の時には、欧州の三分の一の人口が亡くなったという話だ。沈静化までに三年。恐らく、今回もそうなる予感が僕はするのだ。

一昨日ぐらいに、日本のウイルス研究の権威とも呼べる人の研究の様子がTVで流れていた。TVで、その時の彼が語っていた時の表情とその様子を見たときに、これはまずいなと、一瞬で読み取れたような気がした。まあ、先の長い話なのだ。どちらにしても、世界中のあらゆるものが、このウイルスによって、徐々に姿形を変えていくことだろう。稼働していた工場の数は減り、人は動きをやめ、機械も動きを、まるで止まったかのように、静かに沈静化していくのかもしれない。かつて見られなかったような正常化へと、大気汚染の数値は低下を示し始めることだろう。何もこれは、異常なことではない。ウイルスが是正した正常な自然界の動きなのかもしれない。人間は今まで、開発競争に必死になり、そういったことに目を背けすぎてきた。むしろ、一番軽視してきた問題なのである。