MACの蘇生と

 

赤坂あたりでは、行動一つするのに、とても気を使うのだ。ましてや、そこでデザインをすることには。朝から夜まで、誰もが、坂ばかりをのぼって歩いているが…。いつも頭の中では余計なことは考えていないのかもしれない。何もしていないように見えても、実は何かをしている不動産業者のように。ふと、思い浮かぶ、渋谷のユニクロのエスカレーター。僕がもう、気軽に行けなくなった場所でもある。だけどもう、何も無いとしても、きっと。今の僕には、正しいと思えることは、無いのかもしれない。

 

前の会社でMACの蘇生をやらしてもらった技術が、次の会社で役に立つこともある。芸術についてを、考えながら、帰りの電車に揺られている時。芸術というものが無かったら、僕は生きてはこられなかったような気がする。芸術は何を表現しているのだろうと今は思う。ルノワールの作品に十分感じ取れるもの。そこにあるものは、世の中に必要なものではないのかもしれない。僕は、実際の風景を、南フランスで目にした。しかし、絵に描かれたそれよりも実際の街は殺伐とした場所だったことを覚えている。ニースよりも、良い場所は多い。日本でも、九十九里や葉山の方が抜けたような空がそこに広がる。昨今の訪日ブームもしかり。

 

 

昨日、新宿でナローバンドの光線療法を受けてきた体。誰もそのことについては知らないけれど。むしろ、知り合い自体がいなかった。ドアが開くと休日の皮膚科は若い女で溢れていた。女たちは美容系の治療なのかもしれない。そこに僕は皮膚炎の治療をしにきたというわけで。比較的早めに順番が回ってきて、説明もおろそかにされ、光線を受ける。ただ、両面合計5分の照射を。実感はわかなかったが、しばらく、頭がクラクラした。想像していた通りの、日光浴をした後のような感覚がそこに残る。しばらく両手を見つめたりしながら、窓の外を歩く人を見ていた。料金は千円と安いが、週二回通わなければならない。しかし、明らかにやった前と後では、かゆみが違った。確かにこれは試してみる価値はありそうなように思えた。

 

時に人は大人になると子供の頃を思い出したりするものだ。僕が、親と海にでかけた日の空の色。フェリーに乗って、島まで、家族で渡った。父とグリルで、肉だとかを焼いていたこと。雨で冠水させられたテントを干して、湖の周りを三人でドライブした。あれから、何年たったのだろう。今もまだ、あの美しい風景は残っているのだろうか。あれから、仕事仲間とキャンプをしたこともあったけれど、思い出すにはとても、浅い記憶なのかもしれない…。そこで父と見た空は輝いていた…。僕がきっと、何も知らない子どもだったせいもあるのだろう。