昨日書いた日記in中目黒

外はあまり良い天気だとは言えなくはなかった。先週はけっこう恥ずかしい叱責をされ、まるで20代の頃のように憂鬱だった僕…。そういったこともあってまた、ほこりをかぶっていた懐かしい、ミスチルの曲を聴き始めた。そうはいっても、僕は、考えなければならないと思っていた。しかし、レイアウトを含めて思考をコントロールするということは、わかっていても、難しい…。外を歩けばニューヨークの通りのように人が行き交う。最近の僕のまわりをとりまく風景は、妙に、そんな感じだった。外国人が増えてきたとはいえ、若い頃のような、懐かしく、ほてったエネルギーに取り巻かれている。暗い、夜半過ぎのクラブの熱気のような…、とにかくそんな年頃の若い人間に僕が取り巻かれているのはなぜだろう。この歳にして、イチからのスタートをするのだということを、暗に頭の中で教えられているのだろうか…。それをするにしても、精神的にも体力的にも、たぶん間に合わないのかもしれない。景気が回復するのが、遅すぎたのだ…。

 

女二人に挟まれながら、ほぼ、他の誰かと口を聞くこともない僕の日々…。やる仕事は明確な論理性と概念によって、広告に落としこんでいくという類のデザイン。ありふれた思考を無くしていくのもたぶん、無理はなかった…。今日、一年ぶりぐらいにカフェバーの店員と話をしたら、僕が年齢を気にしすぎであると、諭された。しかし広告デザインというものに関わる以上、そういった概念をあたりまえのように無視することはできなかった…。ファッションもそうかもしれない。ただ、その概念は、持っていて得はしないかもしれないが、損をするものでは決して無いように思える。健康に関しても、常識に関しても。そして外国に行ったって、農村に行ったって、この考え方はどうしたって、人々の通念として、確実に存在する。

 

昨日はたくさんの女子高生を街で見かけた。いつも、日々、気づくと僕はたくさんの女子高生にとり囲まれているように感じるのだ。女子高生は流行を生み出すとされているのだと、僕は知っている…。僕が高校生だった頃は、何も、全く関わりあいのなかった彼女たち。しかし、多くの男と関わることも無く、散っていくだけのサクラのような存在でもある…。ただ、以前の仕事では、確かに、変化することは美徳だとは思われなかった。今は逆に、それは非常に重要になっている。むしろ変化しなければならないのである。それは、精神的な若さが必要とされるのかもしれない。肉体は、そうではないのだとしても…。