ヒルズで見た空

 

昨日は一人で、六本木ヒルズにクロッシング展なるものを見に行った。未来に羽ばたくであろう、わりと30代~40代の若い作家のアート作品の展示。最近の動向を探るというのもあった。前日はひどいお叱りを受けたので、憂鬱だったかもしれない…。今後、この仕事を続けるべきかどうかも、少し悩んでいる。家族という存在に憧れもあったけれど、気づいたときには、全てが遅かったんだ…。そして僕は電車に乗っていた。電車の中のどこか幸せそうな風景に、時々涙が溢れることもある。それにしてもこの生活は、いつまで続いていくのだろう…。

 

そして会場につくと、人が溢れていた…。かつてここに来た日は、友達との思い出ばかりしか無い。親とは、一度だけだった気がする…。青山ブックセンターは潰れてしまった。無料ライブイベントで盛り上がった日も、今ではもう、過去のこと。もうすでに通り過ぎた世代の女子たちの横を追い越していく。今後彼女たちと関わりを持てるのは、AVという仮想空間の中だけだと考えると、少しだけ涙がこぼれた…。僕は二名分のチケットの一名分として使い、エレベーターで上に上がった。どう行くかもどういう風景なのかも慣れているので、もう、まわりにいる外国人のようには、何も感動はなかった…。

 

かつての自分を思い浮かべていた。僕にもかつて、アート作品を作っていたことがあったかもしれない…。そう考えながら、展示会場を回っていく。予想したとおり、ガラガラだったが、作品は案外精力的なものが多い。ただ、海外で活動したりしている作家がいないので、それらは、多様性を持たないこじんまりとした作風であることは否めないだろう。いかに会田誠や村上隆などの世代が凄かったのかを逆に思い知らされる展示でもある。なぜこのような作家ばかりになってしまったのか、問題提議する余裕も感じられないほど、早すぎる時代だ…。

 

未来の僕は、どんな僕なのだろう。選択できないものと、選択できるものの間にいた。大企業に入れば、選択できるものは少ないのかもしれなかった。むしろ、選択する必要などないのかもしれない。自分の意思で選び取ることができるものの、多くは安っぽい。ギャンブルやパチンコ。アートや福祉活動。それらは、あまり後に残るものの少ない行為だ。個人の思い入れは、確かにあるのかもしれないが…。限られた時間と空間の中でするべきことは、多くの人には決められている。大衆の中の概念と呼ぶべきものかもしれない。それは人のあるべき姿だと言える…。しかし、多くの人にとっての幸せと呼べるものなのかどうかは、わからなかった…。

 

屋上のスカイデッキに出ると、非常に美しい夕暮れ時だった。今日も一日がくれていく。だけど、遠ざかっていくのかもしれない、何かを得ようとすると、それは。