
最近は、眠る時に何をしたのかということを考えていたりする。例えば、日がな本を読んでいたことを。今日も、本を読んでいた。クローン人間の話だった。今日的な話ではあるけれど、どこか薄っぺらなのは日本人作家である所以なのかもしれない。例えばクローン人間という言葉自体がセリフの中で出てくるところだ。ただ、子孫を残せない誰かのコピー人間である彼らが、提供を通してどのように生きていくのかを考えると、現代を生きる人々にもリンクするものがあり、全体を通してみると、興味深い内容だったように思われる。
人は思い出の中でしか、生きることはできないのかもしれないというふうに、話の大半は、幸せだった養護施設での描写が占める。何の変哲もない主人公と恋人、友達との、繊細な会話の中での心理描写など。子供の頃というのは確かにそれぐらい些細なことに思いを巡らすものであり、リアリティのある心情が表されていた。主人公キャシーは介護人として、先立っていく親友や友人たちの中で、幸せだった養護施設での子供時代での些細なできごとに思いを馳せる。しかし、提供者となった多くの友人たちは、死を前にして、そのことについて考えることそれ自体を拒んだ。その後恋人は彼女に提供者になることを勧めるが、彼女は介護人として生きることを選んでいる。人生の選択肢のない彼らのあり様は、現代社会にも通づるものが確かにあり、死を目の前にしたり、劣悪な環境にさいなまれている時に、幸せだった過去についてを多くの人はあまり振り返らないのだということを気づかせる。しかし、主人公は誰もいなくなった孤独な現実の中でも、その幸せだった子供時代の思い出の中で生きていくことを選んだのだった。
外は雪が降り、屋根が少しづつ白く染まっている。昨日までの暖かさは、空の向こうに。ガスの配管工事をする工事現場の音が一日中なりやまなかった。警備員のおじいさんが、夕方近くに棒を降る。息は白い。通りには、時々すれ違う人、誰かを待つためにそこに止められた車。生きることについて考えなければと思うけれど、どこか疲れた足を引きずっていた。路面は黒い。中古のクルーザーの停められた新築住宅の前をすぎる。
私は最近、色々な喫茶店のミルクティを飲み比べるというのをやっている。比較すると、ドトールが一番コスパが高いようだった。スタバもなかなか、という感じ。スタバでは、牛乳に直接Tバックを入れるかと聞かれ、そうしてくれと私は答えた。胃の調子が微妙なので、最近はそのようにしているが、飽きてきた。