
僕は、先だって書いていたバンコクのレストランを出ると、すぐにタクシーに乗せられた。しかし、マンゴータンゴに行きたいというと、siriで日本語のポリフォニーをふまえつつ、ドライバーは「サイアムは閉まった」と言ったのだった。そんなはずはないかとおもったが…。車は、少し細い路地へ。「女とせえへんでどうする」という旨の言葉を発しながら、彼はそこへ、僕と突っ込んだ。どこか埼玉で見かけたような顔の女性がちらほらそこには。怪しい光の開いていた店に彼と二人で、中に入っていった。その後も違う店へと、彼に連れ回された。斡旋料をもらうほうが、タクシー代より断然もうかるのだ…。その差額はバンコクでは天と地ほどある。その点では、日本とよく似ていたのだ。
僕はカズオ・イシグロ氏の小説も半分ほどにさしかかり、「提供」を控えた子どもたちの繊細な心理描写にドキドキしているのだ。最近は安易に外に出かけることができなくなり、部屋で本を読んでばかりいる次第である…。時々いじめや性の描写を書きつつも、共感が持てるような内容の文章ではないのは、彼が機知に富んだイギリス人作家だからだろう。金がかからない利口な過ごし方だと言えるが、そう考えると、多くの人間は、利用されることなしには生きてはいけない非力な存在である。しかし、運動不足なので、スーパーに買い出しにでかけたのだ。今は陽気に見える人並みも、日曜の午後になると暗い様相を呈し始めるのであろう…。
それからバンコクで、ぼったくられるであろうそこを逃げ出して、違うタクシーを必死で探していた。僕はすれ違うタイ人から「ソープ」「社長」と連呼されていた。どこか親近感のあるドライバーのタクシーに乗り込み、サイアム・スクエアへ。確かに、歓楽街で中国人は見かけなかったのだが。日本人だと、すれ違う時、はっきりわかるらしい…。150円と、運賃は安い。そして、マンゴータンゴは、まだ、開いていたのだった。ウッディな内装は日本のカフェよりオシャレだったかもしれない。しかし、ケーキなどではなくフルーツを売りにしているためか、男も多かった印象だ。そして、容易な建築基準のなせる技なのだろうか。客層は、日本の原宿のような年齢層だったかもしれない。やや高めのマンゴーをたのみ、テーブルで、僕はそれを待っていたのだ。