鳥と太陽

GOTOトラベルで、北海道に行ってもすることはないだろうと、僕は、ぼんやりと思いながら。それでも、何かしようと考えていた。以前、僕は、北海道に2、3回行ったことがあった。記憶に残る、ヒノキの匂いのする、白い温泉。おいしい野菜や、羊の肉など。しかし、人は温泉や食べることだけが目的となると、悲しく、そして微妙ではあった。その土地ならではの、そうではない、楽しい体験を求めてしまうのである。アイドルのライブもそうだろう。海で泳いだり、スノボをしたり。そして、でも、ゴルフや登山はどうだろう。だが、それは、そうではない気がする。さらに、この状況下で人を動かす目的を考えるとなると、難しいものがある。

そう考えると、新しい体験を海外の地に託すというのは簡単な選択肢だ。行動一つとっても、新しい体験は約束されている。空港を出た瞬間から、それは、始まる。どうあがいてもしかし、国内旅行は非常に頭を使う。同じ言語と同じカルチャーの中で、どのようにして、異なるものを探し出すのか。風土もあまりそこまで違いはないだろう。少し動けば、さらに、そこまで費用も安くはない。何か、でも、面白いものはそこにあるのか。そんなふうに、何も得られないかもしれないというような、国内旅行は危険を常に伴う。

最近はそんなことばかりを考えていたのだ。鳥を食ってばかりいる。鳥料理は、コストがかからないわりに作り手であるコックの個性が出やすい料理だと最近気づかされた。次は魚、豚と続く。魚も非常に多様性があり、かつ繊細だが、作り手のタッチ自体はそこまでは残らないのである。鳥は制作プロセスなどがレスポンスとして非常に如実に跳ね返ってくるのだ。塩や胡椒の加減、加熱時間。そんなわけで、やみくもに鳥料理ばかりを作っている。なかなか、外でも弁当以外では食えない。加工と作り置きがなかなか難しいからであるような気もする。鳥はそういう、粘土のような料理の素材なのである。