カンボジアと逗子

することもなく、ぼんやりと逗子にでかけた。逗子といっても、泳ぐのが目的である人がほとんどだ…。逗子は埼玉県民が抱くようなオシャレな街という印象はそこまではなく、むしろ、薄い。駅前は、松屋と、マックと、モスバーガー。さらに原田という店の刺身の味は苦く、微妙だった…。そのそばにある野菜販売所で、僕は奇妙な形のナスときゅうりを買い込んだ。身には、種が一切なかった。トマトやスイカといった華のある果物や野菜が期待されたが、それらを持って帰って食うと、良く言えば、瑞々しい味だった。やはり逗子では海の家で食う焼きそばだとかが美味しい味であるような気もする…。地元のおばさんが遠い昔に入れてくれたカクテルの記憶。どこもしかし、海の家はやっていないのだが。

シャワーぐらいは設置してほしかったものだった。でも、ピザ屋や、ゲリラ的にやっているような店はあった。値段は無かったので、窯焼きというのもあり、高かったのかもしれない。そして、波の音の中で砂地に寝そべりながら、僕は昔のことを考えていた。去年出かけたベトナムや、タイのことを。中でもカンボジアは印象的だった。自然と経済が復興しておらず、見るべきものは遺跡のみといった観光地となれば、そういったことになるのかもしれない。そこで食べたアイスや酒、フレッシュな味のツマミなどの類。僕は風呂に入り、静かで広いベッドの上で寝た。僕は、そして、最後の日にプロペラ機で、深夜、ホーチミンへ飛んだ。飛行中地上を見ると、暗闇の中にカラフルな屋台の光が、パズルのピースのようにそこには散らばっていた。

横須賀線で帰る時の光もそれと少し似ている。2年前黄金町のアートイベントに参加した。そこで、スタンプを押してもらって回っていた展示。捉えようによっては、アートというのは、コスト感の無い素朴な催しでもある。もちろん、コストの掛かっている巨大なものも多い。ロンドンのサーチギャラリーでは、そのような作品を多く見た。もう、相当前の話だが…。でも、こういった場所に来たくなる、自分が時々不思議だ。スタンプを押していた女の子の親も、時々こういったちょんのまと呼ばれる立ち並ぶ小さな店の中で水商売をしていたのかもしれない…。そして帰りに、安い酒を飲みながら、(そこまで安くはない)もつ焼きを食って帰ったりしていたのだろう。