水着と若者と


僕は時々何かを考えるのだ。例えばそれは、休みのことだろうか。感染者数が、タイは少ないと聞いたのだ…。僕は、ああいった国の中で飲んだり、食べたりするフルーツは、特にうまかったものである。例えば、ベトナムで食べたアイスのようなもの。自然がおりなす景色と、人の生命力に、感動すら覚えさせられたものだった。そして、もしもコロナがなければフィリピンにでも行っていたかもしれないのである。ああいった国で乗るバスが、特に僕は好きだった。自分の人生を、違う国の人と共有しているような、不思議な気分にさせられるからだ。
夜、ラジオをつけると、NIGOという人が出ていた。ラジオは、最近のTVとは違って、気を引くような番組ばかりではないのがメリットだ。その声をよく聞くと、面白い人のように感じられた。僕は、裏原ブームと言えばリアルタイムだが…、バイトもしていなかったので金もなく、ストリートでは服装からして完全になめられていた。やけに高価なインディーズ感のあるロゴの入ったTシャツを着て、堂々とあるきたかった…。彼のブランドはもう、今では、若い人が着るべきなのかというところが、すでに微妙なラインだが…。一大ブームを築くと、沈静化はどうしても、早い。今はやっているブランド自体、あまり無いといえば、ストリートにはすでに、無いのだが…。若い世代のターゲットの服やブランドはあるけれど、誰もが憧れるような、人気のある服は日本のブランドではすでに、なくなってしまった。
僕は今日は海にでかけた。でも、バス以外は、密になる場所は少ない。いつものシャワーがないのが難点だが。車で来ている人も、でも、多かった。象徴的な存在としての、若い女の子も、バスの中では少なくはない。しかし、水着姿としての存在は、あまり見かけなかったものだった。