次の会議へ

電車に乗って久々に出かけた。朝は、zoomでmacが何度も落ちた。32ギガもメモリを積んでいるというのにだ。まわりも呆れていた。割と、重要なミーティングだったのだが…。怪しいメモリを外してみても落ちる。なんとかセーフブートで安定した気がした。気がしただけなのかも知れないが…。いつものようにデザイン会議の方は、思わぬ方へと進む。時間を費やしただけの掛け算が、そういったキモの部分が抑えられていないことには違ってくる。いつも、パイセンの案を見ていると、そう感じさせられてしまう…。そんな事を考えながら画面を見ているうちに、思いがけずまた、macが落ちてしまうのであるが…。それは過ぎた日の、10年ぐらい前のことだっただろうか。僕は、立体関係のディスプレイ関係の会社で働いていたことがあったものだった。そこで飲み会をしていたときに、駒沢公園の近くの女の子のアパートで過ごした時間をなんとなく今でも僕は思い出すことがある。泥酔した僕にはまだ、体のどこかに夢を見る気力が残されていたものだった。

夜空を見上げながら彼らと歩いていたひとときは幸せな時間だったのかも知れない。僕はそれまでは、足立区のよくわからない会社に籍をおいていたものだったから。正しいことは何なのかについてを考えながら意味のない仕事に打ち込んでいた僕は、20歳を過ぎても尾崎信者だったものである。そして僕は家に帰ると、芸術について思いを巡らせて、この国にはそれに値するものはないと、友人に電話をかけたり会って話したりしていたものだった。友人は遠くから、彼自身の家からの距離もいとわず僕の住む家までよく来てくれたものだった。それにしても、家でこのように仕事をしていると、友人とzoomをしてしまったりするのは良くないことだと思う。でも、今日は彼の子供を僕は見ることができた。生真面目な彼とは打って変わって、彼の子供は無邪気にソファーに座っていた。2歳半だという、今は。2歳半の頃、よく近所で遊んでいた記憶がある。誰かの子供を自分にそんなふうに関連付けてしまうのはあまり良くないことだとは思うけれど。