葉桜と、ウイルスの街で


通りも電車も閑散としている、平日の朝。僕はこういった経験は、生まれてこのかた初めてだった。写真で残しておきたいぐらいのレアな風景でもある。そんなことを考えながら、通りを歩いていた。でも、昼のレストランも、閑散としていた。人がいないとこんなにも、味が淡白に舌には、感じられるものなのだなと。また、外を歩いた。桜は散り始めていたが、葉桜もほがらかで、美しい。名の知らない黄色い花も咲いていた。スマホを片手に、今日は都内では何人感染するのかと僕は考えていた。それが、死者の数に変わるのはいつなのだろう。僕はベンチに腰を下ろして、目を閉じていた。僕は、今日は暇だ。近くにいる、花見をしているカップルを、そして静かに僕は見た。僕は、脚のよく手入れされた女だと思ったんだ。皮膚炎で、でも、僕の脚は、痛かった。春の乾燥がどうしても進んでしまう、桜の下で。
鼻のみで呼吸をしながら歩くのはわりときつい。女も、少ないとは思ったが、わりと電車では見受けられた。災害時などでは、その人の人間性が露呈するものだ。ただこの状況は特殊で、感染症災害である。アメリカの振る舞いに、気品が感じられるのかどうかは微妙なことになっている。中国のような、断固とした態度が徳を得るのか。それとも、曖昧な政策を貫く日本なのか。