カンボジアで最後に食ったもの

秋空の下で何となくカンボジアにいたときのことを思い出すと、埼玉に雰囲気が似ていた気がするのは、たぶん、犯罪と、エロと、カネだけに価値が置かれた社会だったからだろうと、僕は思う。自然に出る明るい言葉も暗いものとして捉えられがちになるというのがそういった場所では、確かにあり、その人の中で暗い言葉が明るい言葉に捉えられてしまうというのも埼玉に似ていた点である。住む国や自分の住む街自体に誇りを失いかけた人の心の中では土地における感情の作用といったものが会話の中でそのようになりがちになるのである。反対にベトナムという国ではフランスや米国を倒したのだということで、人々には強烈な士気と明るさが満ち溢れていた。活気づいた多くの人の行き交う街は少しだけ情緒と言ったものには欠けていたが。我々旅行者がその明るさを感じさせられる事実の一つであるかのようにエロが認められていないということも同じことなのだと気づかされたが、僕は、そもそもカンボジアでカネに物を言わせて人々を奴隷のように使いまくるのもある意味残酷といえば残酷な行為の一つなのかもしれないと思っていた。

カンボジアには2000年のはじめの頃スワイパー村という少女売春が公然ととりおこなわれていた村があったことを僕は知っている。そして僕は虐殺が行われた80年代の社会主義政権についても知っている。そこでは子供がその悲劇の要をなしていたのかのように思われ、子供に子供を殺させたり子供を木に叩きつけて殺したりと言った行為が、そこでは淡々と行われていたようである。子供というのは一様に感覚的で、思考性をあまり持たないという心理性によって、その物語における役割自体として存在したのかもしれない。強く感じさせられるのは、カンボジアという自然と宗教以外にあまり無駄な何かを感じさせることのない国ではそういった思想的感覚は宗教的に濃く凝縮するのかもしれないということだった。そして宗教もキリスト教に比べると無を重視したものであり、そこでも子供の無垢なる心境に焦点が当てられているように思える。何の産業もないスワイパー村では主に日本人が客としてそこに訪れていたと聞くが、今回もどこかに訪れることの、ある種の愚行を、その悲しい事実によって、自分自身に感じさられた。旅行者として、旅行中、節度を持って消費をすることを僕は心がけていたのだが、街はバブリーな使い方ができる日本人もすでに減り、日本人であることがどこの国でも珍しいように、その客を見る目自体に感じさせられた。そしてあの日カンボジアという国に着陸しようとしている飛行機の中で林と湿地が織りなす風景を僕は見ていた。その時、雲の中の模様のように湿地に浮かんだ顔は、苦しんでいるようにも、ユーモラスにも見え、着陸時に思い出すそれは、本当に不思議な風景だった。

最後の遺跡を出るとバイクの座席に座って、僕は彼にホテルまで送ってもらっていた。僕は山を下りると、象と並んでいるところをそこでちゃっかり撮影もしてもらったが、こういった場面はタイを含めて実はわりと少なかった。道自体は微妙に森の中でベトナムとはかなり異なり、単なる避暑地とは少し違った鬱蒼とした闇が風景の中には潜んでいるようでもある。遺跡を出た僕はホテルにつくと航空機に乗る時間まで少しあったので、一時間街を歩いていたが、雨が激しく日本から持参していた傘がなければ服も靴もずぶ濡れになっていたことだろう。僕は遺跡を登り降りしている時に、そこで多くの日本人とすれ違ったが、そのほとんどは20ー40代ぐらいまでのまだ体の動くような人たちだった。しかし年配の人が死生観を感じ取らせるにしてもこの作りは老人や障害者の存在をそこから徹底的に排除しているようにも思われた。しかし寺院は老齢者が多く参拝に来るべきであろうのになぜこのような作りになっているのだろう。当時の虐殺が行われてからというもの老齢人口が急激に少なくなっているのが、現在のカンボジアなのだが、ただ、この建物が建てられたのは本当に昔の話なのである。確かに、たぶん、そこには多くの老齢の人間がいたはずだった。寺の中で彼らが今ほどは寿命は長くはなかったのだということを考えると、これらの寺には死というよりも生誕や若さに焦点があてられているのかもしれないと、ものすごいスピードで歩き回る少年自称ガイドの後ろを歩きながら、僕は考えていた。そして実際はそうではないのかと思ったが、性器を象った彫刻が多くそこには残されていた。僕はベトナムにも同じ形のものがあるのだと向こうのガイドが写真を見せながら何となく言っていたのを思い出してしまう。

そして、ぼんやりとそんなことを考えながら、途中で止められた妙に気の合うバイタクのおじさんと、ニヤニヤ風俗の話をしていたものだった…。声掛けのみならず、イヤらしいエロマッサージのメニューを恥ずかしげもなく差し出しては持って周る女に、とにかく、エロい街だということを視覚的に感じさせられた。そこには、銃も所持している人間も多いと聞く。僕はそこでまるで日本の渋谷のように夜勤の人間の飲み会が屋台のテーブルでは執り行われていたのを見た…。朝方は、何ということ無い味のオムレツをそこで食ったけれど、しかし雨で身動きがとれないので、ブルーパンプキンでまたもや食う。今回は、マンゴージュースがおいしかった。どこか日本でもないのに後ろにはカップル専用ソファが設けてあるという気の使いよう。しかし、若者の遊びが恋愛しか存在しないのだということだ…。それから時間が差し迫ったのでホテルへトンボ返り。どうも街の作りに非常に迷子にさせられたのは僕は区画がよく似ているからだと今更気づく。同じような道幅、それ以上に似たような風景の森の中で、置き去りにされたら旅行者にとっては絶望的な状況のようにも思える。