
イスの並んだ発着ゲートで、僕はビザ発給の情報についてを調べていた。どのようにすればベトナムの入国手続をパスできるのだろうかと。しかし、待ち時間が異様に長いとのことで、最悪の場合は空港で一夜を明かすことになるかもしれない。まず金が30ドルほど必要になるとのことだったので、それを免税店のATMから引き出した。見渡したシェムリアップ空港は比較的キレイで、一階建てだったが、ベトナムよりもかなりキレイだった。並んでいた入場ゲート自体が何度か変更されて四苦八苦したが、日本人の若い女性陣もわりときていたので、意見を取り交わすその尻の方についていった。どこか大学生のような、フリーターのような印象の彼女たちは、甲高い声で、思いついたままの言葉を発しているといった印象だったように思われた。目にする僕にもあんな時代があったものだった。僕は、そして柱にあるバッテリーチャージャーでスマホを充電していった。とても便利だった機械。考えながら歩くとどこの空港もそうだが、空港の中の食べ物は非常に割高だ。それから航空機に乗り込むと、時計はすでに夜の22時30分を指していた。機内から見下ろしたカンボジアの風景は、屋台の暖かな光が散らばっていて、僕もあそこにいたんだという気にさせられてしまう。小さな飛行機でもCAは存在し、水が配られる。僕はそこで2つ受け取ると、水筒の中に注入する。ぼんやりしていると飛行機は着陸体制に入る。そして僕は不安な面持ちのまま機内から降り、先ずは空港にあるという噂のビザ発給所を目指して歩いていった。
空港のビザ発給所につくと、webで見た通りの空間がそこにはあるように思われた。僕が回りくどすぎる用紙に情報を書いていると、隣に日本人らしき人が2名立っていた。ついそこで出会った感じのビジネスの人と、そうではない人。歳は同じぐらいかもしれない…。とにかく、まあ、何人かの日本人がそこでは同じように足止めを食らっていた。後で、彼の提出用紙を見ると、ビジネスマンからの指示があったのか、かなりの箇所が省略された文字が並んでいた…。僕もネチネチとどうにか30分ほどかけて書いたそれを提出すると、そこからが予想していた通り、長かった。一時間ばかりが経過すると客がはけ、スマホをぼんやり見ているうちに、次の便の乗客も次々とやってくる。よく知らない学生らしき日本人が、ビザを受け取り、歓喜の声をあげつつ横を通り過ぎる風景。完全に取り残された感じの人が、個人旅行らしき韓国人と、その、埼玉の男性と僕の3名だ。(僕は彼の用紙を盗み見ていたので、from埼玉だと知る。)見ていると、韓国人のツアーの人は、ツアー会社の人がまとめてそれを出していて、すぐに発給してもらっているのを不思議に感じた。あとで調べると、結局は招聘状というものが必要らしかった。きっと彼らはそれが用意してあったのだろう。そして、待つこと1時間30分。ついに韓国人が呼ばれ、私と埼玉の2名に。私は疲弊し、係員を睨みつけたが、軍服のような服の彼は全くの無表情で、人形のように遠くを見ていたのが怖かった。というか、いたりなかったりで、なにをしているのかわからないのである。そこで私はしびれを切らして、とりあえず入国の手続きへ並んだ。係員に止められるかと思ったが、日本に帰るチケットは持っているかと聞かれ、それを見せるとなんなく通過できた。そこを出ると、シャバに出たかのような自由の世界が現前には広がっていた…。そして私は使う予定だったドルを速攻でドンに両替。時間は朝の1230だ。歩きかたの情報を頼りにどうにかまともなタクシーを捕まえ、街へ走らせる。僕は、外灯の過ぎていく暗がりの中で、取り残された埼玉の人のことを考えていた。入国できることを知らないのか、それとも、帰りのチケットを持っていないのだろうか。光を見つめながらよくわからないが、彼がそこから無事出られることを、心のなかでは祈っていた。