誰かが書いた旅行記
暑さの中を過ぎる日々、目は見る、遠くに見えるのが何であるのかを。僕は、そして、誰だろう。ヨーロッパを旅行した人の旅行記を読むと自分もそこにいるみたいに感じられる。何もお金と時間をかけなくても入ってくる情報がインターネットを開くとある。一体自分の肌や感覚で感じられるものの意味とは何だ。だからこそ、多くの人はこだわりを食に持とうとするのかもしれない。それはインターネットの中で感じられないものの一つなのだろう。木が生えている。窓の方を見ると、今日は、雨は降らなかったことを思い出す。僕は、でも、夜は暑くて苦しめられたのだ。夏の最近の雨は大量なので恐ろしい。昔は夕立が堤防を決壊させることはなかったし、35度以上の日は長くは続かなかったものだった。でも、今日も生きたのだろう。いつものように、橋を渡る。入ったスーパーには、もう、桃は少なく、梨が出回り始めている。とうもろこしも、消えるのだろう。そこまで、今年は小ぶりで美味しいとは思わなかった。鮮魚コーナーには、イカの姿はない。年中ブリを食べているようだった。スマホを取り出して、天気予報を頼りに、今日も歩き出す。
CDの発売日を心待ちにしていた頃。レコード産業は崩壊し、今は、木だけが生えている。そんな誰もいない公園だ。明日も電車は速度を上げて過ぎていくのだろうか。マンションの向こう側にはもう庭師たちはいないけれど。